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KIRA_PINK 劇作家「ウィリアム・シェクスピア(イギリス)」
KIRA_PINK 哲学家「デカルト(ドイツ)」
KIRA_PINK 哲学家「ショーペンハウア(ドイツ)」
KIRA_PINK 哲学家「ニーチェ(ドイツ)」
KIRA_PINK 哲学家「プラトーン(ギリシャ)」
KIRA_PINK 哲学家「カント(ドイツ)」
KIRA_PINK 推理小説家「コナン・ドイル(イギリス)」
KIRA_PINK 推理小説家「アガサ・クリスティ(イギリス)」
KIRA_PINK 推理小説家「エドガー・アラン・ポー(アメリカ)」



「ウィリアム・シェクスピア」

 中学の教科書に載っていた「リヤ王」があれ程私の心を捕らえたのは、何故だったのだろうか。
最初の本との出会いは、人間欲をまざまざと見せつけているにも関らず、道化の言葉の中には現実と皮肉の美しい協和音が奏でられている、 そんな文学の原点に魅せられたからかもしれない。
その後、映画「今を生きる」(ロビン・ウィリアムズ主演)で、主人公の夢と空想の夢の世界が見事に織り成されていた「夏の世の夢」に憧れ、 「嵐」で感動を覚え、余りにも有名な「ジュリアス・シーザ」で太古のロマンへ引きずられ、「マクベス」「リチャードV世」とシャークスピアが描き出す人間の本質というものに考えさせられ、 振り向かされ、道を教えられた。
私達が手に取る小説は、彼を境にして生れたと言えるのではないでしょうか?
現代の小説の担い手となった偉大な劇作家、私の小説の原点である巧みな詩人、正に、言葉は彼から生れ人の心を揺さ振って、人を冷静にさせるのではないだろうか。

作品紹介
  《習作時代》
1590年「ヘンリーY世」

  シェークスピアの作品は、殆ど全てが史実や逸話を題材にして創りあげらています

1592年「リチャードV世」
1592年「間違い続き」
1593年「タイタス・アンドロニカス」
1592年「じゃじゃ馬ならし」
1594年「ジョン王」
1594年「ヴェローナの二紳士」
1594年「恋の骨折り損」
1595年「ロミオとジュリエット」

  この時31才で既に3児の父親であった、アカデミー受賞映画「恋に落ちたシェイクスピア」は。。。

  《喜劇時代》
1595年「リチャードU世」
1592年「夏の夜の夢」
1596年「ヴェニスの商人」
1597年「ヘンリーW世」
1598年「空騒ぎ」
1598年「ヘンリーX世」

  フランスではジッドが翻訳していましたが、日本でも坪内逍遥などが翻訳しているんです、やはり詩人でなければ?出来ない作品なんですね

  《悲劇時代》
1599年「ジュリアス・シーザ」
1593年「お気に召すまま」
1600年「ウィンザーの陽気な女房たち」
1600年「ハムレット」
1601年「トロイラスとクレシダ」
1602年「一二夜」
1602年「末よければ総てよし」
1601年「マクベス」
1602年「オセロー」
1604年「目には目を」
1604年「リヤ王」
1606年「アントニーとクレオパトラ」

  映画「クレオパトラ」は余りにも有名、「ジュリアスシーザ」から話は続いています

1606年「コリオレイナス」
1607年「アセンズのタイモン」
  《浪漫劇時代》
1608年「ペリクリーズ」
1609年「シンベリン」
1610年「冬物語」
1611年「あらし」





「デカルト」

哲学と言う言葉だけで、多くの日本人はそれを馬鹿にし、毛嫌いし、顔を背けてしまいます。
彼等の思想は、例えば「孔子」などはその極みでは有りますが、時にとてつもなく高い場所に存在し、われわれ凡人には理解することなど不可能な場合が多いのは、確かに事実です。
しかし、ある時あなたが人生の暗闇に入ってしまってなかなか出口が捜せず、心細くなってどうしようもなくなり、途方に暮れることとなったとします。そこへ突然光が射し込んで来たら、 当然あなたはその光の方へ歩き出すでしょう。
何故なら光は、その先に窓を持ち、窓の外には新しい明るい世界が展開していることを想像させるからです。
そうやって開けた外の世界は、なんと心地良く、清々しく、暖かいものなのか想像してみてください。
哲学とは、そういうものなのです。デカルトの言葉に耳を傾けてみてください。きっと一つの光が差し込むことを約束します。

作品紹介
16??年「精神指導の規則」
  『示された対象について、他人の考えたところ或いは我々自ら憶測するところを、求むべきではなく、我々が明晰かつ明白に直感し又は確実に演算し得ることを、求むべきである。
何となれば他の途によっては、知識は獲得されないからである』
  『…決して虚偽を真理として認容せぬこと、及び全ての事物の認識に到達すること』





「ショーペンハウア」

ゲーテの友で有り、ヘッセやマンの師匠で有り、デカルト、カントと並んでドイツの3大哲学者と評されているのが、ソクラテスの再来ではないかと私が尊敬するショーペンハウワアです。
彼は、形而上学とは「自然、美、道徳」の3部門に分かれると説いています。
確かにデカルトやカントといった人達は、その3つの柱を元に形而上学を明かしていると思うのですが、ショーペンハウアは、人が見失っている本質の様なものを、 フッと息を吹き掛ける一瞬の技で解き明かす天才、つまりは、人間の精神における本来の姿を曇りの無い心で知り抜いている、形而上の祖と呼ぶべき思想の持ち主であるのだと、私は常々考えています。 (或る意味ではそれを自然と呼ぶのかもしれませんが。。。)
例えば、ゲーテのところで、自分勝手な傲慢さにその醜さを教える術は無いと書きましたが、ショーペンハウアはそんな無気力感さえ実に見事に、滑稽な芸のごとく本質を解き明かしています。
又は永遠の謎とされている2大無機質(時と空間)についてさえ、ショーベンハウアは説いているのですから、感服の極みであります。
皆さんも考えてみてくだい、時と空間という、そのぞれ個人によって、その形も長さも大きさも違う、絶望的に無機質なものについて。。。

作品紹介
1851年「哲学とその方法について」
  『事物そのものを自分で考察してこそ、洞察も知識も本当に豊かに成り得る。 …古い器を裏返してその中に何か一滴でも残っていはしないかと調べ様としているが如くであるが、その間湧き出る泉は顧みられずに彼等の足元を流れているのである』
  『人は、まず我々の腕を縛って置いて、我々が何も出来ずにいることを後から物笑いにする分けである』

1851年「知性について」
  『時間は物理的実在ではなく、先験的な観念的存在であり、従って事物からではなく、認識主観から発言するものである。 …影響力を持つものは時間の経過の中で働く原因であって、時間の経過そのものは決して作用力が無いからである。…琥珀の中の蚊、完全に乾燥した空気の中の貴金属、 乾いた岩窟の中で発見されたエジプトの太古の遺跡… 時計は時を計るが、時を作りはしない』
  『時は知性という織物の第一の横糸…空間は知性という織物の第一の縦糸…』

1851年「自殺について」
  『ところが神は人間に対しては、かくも多くの苦難に満ちた人生における最上の賜物として、自殺の能力を賦与してくれた』
  『ところが生命の断末には何かしら積極的なものが含まれている、即ち肉体の破壊である。この肉体の破壊に脅かされて、人々は尻込みするのである。 何故なら、肉体は生きんとする意志の現象に他ならないからだから』

1851年「世界の苦悩に関する…」
  『仮に人間という種族を極楽島にでも移して試られたら良い。そこでは万事は自ら成り出で、鳩の群れは焼き肉と成って飛び回っている。 又何人も自分の愛人を容易に見出し、何の苦労も無しに彼女と暮らしていける。だがそうなったら、人間の或者は退屈の余り死んだり首をくくったりすることであろうし、 又或者は互いに攻め合ったり首を絞め合ったりすることに成るであろう』





「ニーチェ」

若者達の救世主である「ツァラトゥストラ」をこの世に生み出し、たった2つの著作を我々に残しただけで、50歳に成る前に狂人と成って、 その偉大な思想を称えられたが故に、国からの手厚い看護の元で生涯を終えた天才哲学者の名を知らない方は、それこそ居ないでしょう。
確かに常人と狂人の境界線に有る人の形而上は、微妙な旋律を奏でています。しかし、この偉大な狂人の言葉こそ、われわれの世界に必要とされ続けているのです。
ニーチェの言葉を、偽善政治化達に。。。
更に、悲劇を書けない偽作家達に。。。
遂には、全ての若者達へ。。。

作品紹介
1883年「ツァラトゥストラ」
  『女性に最も憎まれる者は誰だろうか…「私はあなたが一番憎らしい。あなたは私を引くが、引き寄せてしまう程十分強くないから」』
  『つまり民衆は−言わば河だ。その河に舟が浮かび、その舟に覆面をした価値評価がもったいぶって座って居る』

1911年「この人を見よ」
  『隣人愛とは、…元来が弱さであり、刺激に対する抵抗不能症の一つのケースである。…つまり、同情の手が一個の偉大な運命、痛手にうめいている孤独、 重い罪責を担っているという特権の中へ差し出がましく差し伸べられると、却ってそれらのものを破壊してしまいかねないからだ。 救いを求める悲鳴が彼の耳に聞こえてきて、同情が最後の罪の様に彼を襲い、彼を彼自身から離反させようとするのである。己の使命の高さを純粋に守り抜いて、いわゆる無私の行為として働く、 …恐らくは最後の試練であるだろうそ』
  『無神論は私の場合、本能的に自明なことである。私は大掴みな答えで満足するには余りに好奇心が強く、余りに問う力に富んでおり、余りに高慢である。 神とは、我々思索する人間にとっては、大掴みな答えであり、まずい料理である』





「プラトーン」

ソクラテスの一番弟子であったことは、既に周知のことでありますが、プラトーンの著作は、一度もペンを取らなかった師匠の言葉をまとめたものだともいわれています。
しかし、2千5百年近く後の世に成っても、その言葉は褪せることも無く、最も神々しいものとして扱われて居るのですから、人間というものが如何に技術的進歩を遂げようと、本質的には全く進化していないのだということを実感させられ、感慨にふけってしまいませんか?

作品紹介
紀元前399年「ソークラテースの弁明」
  『何故なら、死を恐れるということは、いいかね、諸君、知恵が無いのに、有ると言っていることに他ならないのだ。何故ならそれは知らないことを、知っていると思うことだからだ。 何故なら死を知っている者は、誰も居ないからです。ひょっとすると、それは又人間にとって、一切の善いものの中の、最大のものかもしれないのに、彼等はそれを恐れているのです』(これがかの有名な「無知の知」?)

紀元前399年「クリトーン」
  『大衆といものが、そういう最大の災悪を創り出すことが出来るものだったらね。そうすれば、又善福も、最大のものを創り出すことが出来たろうからね』





「カント」

時間哲学を説いたカント博士は、私生活でも時間に対して、驚異的な几帳面さを発揮していたというのを、以前テレビで聞いたことがあります。

作品紹介
1797年「道徳哲学」
  『人間は、義務について語る限り、従って生きている限り、人格を捨ててしまうことは出来ないのだ、 …自己自身の人格の内なる道徳性の主体を絶滅することは、…この世から根絶するに等しい、然もこの道徳性そのものこそ目的それ自体なのである。 従って自分にとって任意な目的の為の単なる手段として自己を取り扱うことは、とりもなおさず自己の人格の内なる人間性の品位を奪うことである、実際人間はこの人間性を保存する様に委ねられているのに』

「判断力批判」
  『即ち或人に感覚的満足を与えるところのものは快適と呼ばれ、又彼にとって単に快いものは美呼ばれ、是認されるところのもの、 言い換えれば彼によってその客観的価値が証人されるところのものは善と呼ばれる』





「コナン・ドイル」

さて、これまでのところ、筋金入りの文学者みたいな面ばかりをお見せしてきましたが、
何を隠そうこの私も、推理小説にのめり込んだ時期が有ったんです。
と言うよりも、本の面白さを最初に知ったのは、小学校の2、3年の頃、彼の著書「まだらの紐」を図書室で見付けた時から始まったと言うべきなのかもしれません。
それから毎日、1冊の単行本を返す代りに次の1冊を借りてという生活が続き、授業の勉強をしている時間など確か1秒も無かったと思います。
つまり小学生の頃の私は、上から数えても下から数えても同じ時間を要する程度の学力でしかなく、そんなことより物語の世界に魅せられて、 その先に在るものを覗き込むことに最も興味を抱く子供だったのです。
想像ですら辿り着けない程遠い異国の、一部の隙も持た無い白人のおじさんとの出会いは、私に完全なる敬服感を植え付け、片時も頭から放れなかったばかりに、 最初の感覚というものを教えてくれたに違い有りません。
人の真理、人の行動、人が辿ってきた道、それら全ての中に回答が存在し、大抵の人はそれを求めて生きているのです。
故に作家とは、著作の中でそれらの謎解きを披露して、読者に元気を与えることを生業とする人のことで、人一倍感覚が敏感でなければならないのだから、 幼い私にとってコナン・ドイルは、良き担い手であった訳です。
さて、シャロックホームズについては、私などより余程皆さんのほうが詳しいかと思われますので、彼の活躍について語るのは止めておくことにして、 彼の最後における私の遠い記憶の感覚をお話させてください。
自らを完全者と称していたホームズが唯一恐れていた人物モリアティ教授、彼との戦いで遂には共に滝壷に落下し、一度はこの世の中から姿を消したホームズであったが、見事に奇跡の生還を遂げた。
にも関らず、結局最後は阿片に取付かれて消えて行くという最終章を読んだ時、失望感と満たされない欲求で私は呆然と成りました。
大人になってしまった今、コナン・ドイルの作品を読むことは有りませんが、子供に与えるには少し刺激的な面を持つコナン・ドイルの作品はそんな本であるのかもしれません。

作品紹介





「アガサ・クリスティ」

シャーロック・ホームズより子供の私を虜にしたのは、灰色の脳細胞を持った小さなベルギー人、エルキュール・ポワロでした。
ホームズ程の緻密さは無いけれど、人間味に溢れたポワロは状況設定の豊富さに助けられながら、私に親近感を持たせてくれました。
おかげで、シェイクスピアの魅力と交差するまでの私は、とにかくポワロを読みつくしました。
最後に読むのは「カーテン」(ポワロ最後の仕事)ということだけは、子供ながらに決めていたのですが、後は手当たり次第に正にポアロと出会う為に、 何処の本屋でも立ち寄って長編、短編は問わず、約50冊の本を手に入れました。
一体アガサ・クリスティこそ、どの様な灰色の脳細胞を持っていたのでしょうか、如何なる作家が一人の主人公に対して40もの物語を書いているのでしょうか、 それだけでは有りません、皆さんご存知の通り、ミス・マープルやハリー・クィンといったシリーズから舞台用のものまで、約50年間で80もの小説を書き、それが世界中で翻訳されているのですから、敬服の極みです。
後にも先にもそんな偉業を成し遂げる作家は、アガサ・クリスティ以外には存在しないのではないでしょうか。
そんな数多の作品の中で、最も私の好きものとして上げるとするなら、「オリエント急行殺人事件」ではないかと思います。
何故なら、犯行の動機、方法が、見事に私の意表を突いてくれたからで、「そして誰もいなくなった」と同様、あの発想は、アガサ・クリスティからよく使われるようになったものだと思います。
ですが、意表を突くという観点からもう一つ上げさせて貰えるならば、「葬儀を終えて」(映画「鏡は横にひび割れて」)で、この作品では犯人に意表を突かれました。
しかしこれだけの人物となると、人が蟻の様に群がって来るのは必然的で、ダイアナ妃程ではなかったにしろ、アガサ・クリスティの私生活も随分と醜聞が絶えなかったらしく、 それが映画化までされてしまって、それを知った子供の私はやはり失望させられてしまいました。
何故人は、作品だけを評価すればいいところを、作者までも評価の対象にしようとするのでしょうか?

作品紹介
1952年「マギンディ夫人は死んだ」

  『当節ときたらありとあらゆる事が技術的になりすぎているのだ。 秩序や規律に対する愛情などどこにもありはしない』





「エドガー・アラン・ポー」

江戸川乱歩がその名前を拝借したアメリカの推理小説家は、余りにも有名ですね。
コナン・ドイルやアガサ・クリスティもポーの影響を受けたという件を、作品の端々に書いています。
しかし、これ程までの作家の作品として、日本で紹介されているのが「黒猫」と「モルグ街の殺人事件」だけとは、 実に驚きなのですが、その怪奇性が今一つ一般に受け入れられない理由なのかもしれません。
確かに、「モルグ街の殺人事件」が映画になっていると初めて知った時、あの残虐な殺人現場をどんな映像にしているのかと、 そのことばかりに私が興味を注がれたのも事実です。(実際どうなのかは、是非その目でご覧ください)
これだけ視野も広がり、言葉の意味に謎解きを求めるようになってしまった今となっては、 コナン・ドイルもアガサ・クリスティも真剣に読めるのはせいぜい10頁くらいなもので、後はパラパラと横読みでなければ、どうにも退屈で仕方がないのですが、ポーだけはちょっと違います。

作品紹介





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