小説家(その他の欧米)



KIRA_PINK 「ヨハン・フォルフガング・フォン・ゲーテ(ドイツ)」
KIRA_PINK 「ツルゲーネフ(ロシア)」
KIRA_PINK 「ノヴァーリス(フランス)」
KIRA_PINK 「チェーホフ(ロシア)」
KIRA_PINK 「スコット・フィツジェラルド(アメリカ)」
KIRA_PINK 「ジョルジュ・サンド(フランス)」
KIRA_PINK 「スタンダール(アンリ・ベール)(フランス)」
KIRA_PINK 「ギュスターヴ・フローベル(フランス)」
KIRA_PINK 「モーパッサン(フランス)」
KIRA_PINK 「ミゲル・デ・セルバンデス(スペイン)」
KIRA_PINK 「オノレ・ド・バルザック(フランス)」
KIRA_PINK 「ホフマン(ドイツ)」
KIRA_PINK 「シャルル・ノディエ(フランス)」



「ヨハン・フォルフガング・フォン・ゲーテ」

 ドイツが生み出したこの偉大な作家の名を知らない方は、多分居ないでしょう。
臨終際の言葉「もっと光を」というのを聞けば、あ〜、と思い出される方も多いはず。
これ程までに、世界中の人々から慕われ愛されている作家は、数える程しか居ないというのに、ゲーテ所縁の地であるフランクフルトでも、ゲーテ像に落書きがして有りました。
自分勝手という傲慢さには、その偉大さがどれ程凄いことなのかと教える術など無いのかと、ホトホト情け無くなったのですが、まぁ昨今では、私達の回りでも老若男女を問わず、そんな輩はゴロゴロとしていますね。。。
(実は「絵島」もそんな中から生れた小説なんです)
ゲーテの代表作である「ファウスト」では、この人間欲が主人公の博士を通して見事に描かれ、悪魔「メフィストフェレス」さえ、その強欲の前では舌を巻くのですが、神に選ばれたファウスト博士を自分の物に出来るという欲の前に、悪魔自身その身を滅ぼしてしまうという、 その創造性には、脱帽させられることと思います。是非、生涯に一度は読んでみてください。
ところで皆さんは、鏡の中の自分自身を見詰めてどう思われますか?キリッとした賢い顔をしているでしょうか?
世の中の人が一歩足を止めて、自分が他人にしようとしているその行動を相手の立場になって考えられるそんな時代が戻らない限り、この世界も滅ぴの一途を辿ってまうのではないでしょうか?何故なら、メフィストフェレスの様な間抜けな悪魔は、もう居ないからです。

作品紹介
1774年「若きウェルテルの悩み」
  『運命がしかけるちょっとした災難を、いままでのようにくよくよ反芻(はんすう)するのはやめよう。 …人間が−なぜ、そんなふうになっているのかわからないが−いろいろと想像力を働かせて過ぎ去った不幸の思い出をつぎつぎに呼び戻したりせずに、現在を恬淡(てんたん)として過ごすようになれば、ひとびとの苦しみや悲しみはもっと少なくなるだろう』
  『子供達は、自分の欲望の理由を知らない。 …けれども、大人だって、子供達と同じようにふらふらこの地上を歩き回っているのだ。子どもたちのように、自分らがどこから来てどこへ行くのか知っていない。本当の目的に従って行動しているなどといえるものではない。大人だってビスケットやお菓子や白樺の鞭で動かされているのだ。 …しあわせな市民ならば、自分の小さな庭をどんなに美しく楽園に仕上げることができるか、不幸せな人は不幸なりに重荷をせおって、いかにたゆまず自分の道を歩き続けるか、そして、誰もが同じように太陽の光を一分間でも長く拝みたいと願っている。こういうことをよく理解する人−まさしく、 そういう人は多くを語らないが、自分の内から自分の世界を創りあげて、 人間として生きていることで、幸福なのだ。こういう人は、どんなに制約を受けても、心にはすばらしい自由の感情を持っていて、出ようと思えばいつでも好きなときにこの牢獄をおさらばすることができるはずだ』

1797年「ヘルマンとドロアーテ」
1806年〜1831年「ファウスト」
1809年「親和力」
  『ある人物に備わる快い赴きは、その人の外皮の上にまで広がるものなので、我々は、その人が自分の特性を新しい環境に伝達する度に何度でもその人を新しく見直しては、いよいよ美しいと思うのである』
  『どんな風に身を起こそうとも、人は自分をいつでも見る人間として考える。人間が夢を見るのは、単に見ることを止めない為に過ぎないと私は思う。もしかすると、内心の光が何時か我々の外へ射し出して、 その結果、他の光がいらなくなることになのるのかもしれない』





「ツルゲーネフ」

ロシアの作家で一番人気の有る方は、ドストエフスキーに違いないでしょう。次にトルストイが上がるとして、3番手には下記に紹介していますチェーホフかこのツルゲーネフ、そんな言葉を並べてもいいのではないかと思います。
4人の方達には、それぞれの個性色が作品によく現れていて、庶民的、宗教的、諧謔的、抒情的、となれば、私の作品を読んで頂いている皆さんには、私がどの方を一番好んでいるか、もうお解りですね。そうです、ツルゲーネフの抒情作品は、ディケンズやフィス同様、読み終えた後に、人の心に鐘を鳴らし続けるのです。
そういった作品は、よくオペラや映画に成りますが、フランスの名優ドミニク・サンダがジナイーダを演じた映画「はつ恋」は、とても美しく、切なく、幻惑的で素晴らしい映画でした。(未だ見ていない方は、是非一度その心で感じてみては如何でしょうか)

作品紹介
1852年「猟人日記」
1855年「ルージン」
1858年「貴族の巣」
1859年「その前夜」
1860年「はつ恋」
  『ああ、青春よ!青春よ!お前はどんなことにも、かかずらわない。お前はまるで、この宇宙のあらゆる財宝を、一人占めにしているかの様だ。 憂愁でさえ、お前にとっては慰めだ。悲哀でさえ、お前には似つかわしい。 お前は思い上がって傲慢で、「我は一人生きる−まあ見てるがいい!」などと言うけれど、その言葉の端から、お前の日々は欠けり去って、跡かたもなく帳じりもなく、 消えていってしまうのだ。さながら、日なたの蝋のように、雪のように。 …ひょっとすると、お前の魅力の秘密はつまるところ、一切を成し得ることにあるのではなくて、一切を成し得ると考えることが出来るところに、あるのかもしれない。 余り余る力を、他に何処にも使いようがないので、ただ風のまにまに吹き散らしてしまうところに、あるのかもしれない。 我々の一人一人が、大真面目で自分を放蕩者と思い込んで、「ああ、もし無駄に時を浪費さえしなかったら、偉いことが出来たのになあ!」と、 立派な口をきく資格があるものと、大真面目で信じているところに、あるのかもしれない』
  『…あの頃は、私は何という希望に満ちていただろう!何を待ちもうけていたことだろう!何という豊かな未来を、心に描いていたことだろう! しかも、私の期待したことの中で、一体何が実現しただろうか? 今、私の人生に夕べの影が既に射し始めた時になってみると、あのみるみるうちに過ぎてしまった朝まだきの春の雷雨の思い出ほどに、すがすがしくも懐かしいものが、 他に何か残っているだろうか? だがわたしは、いささか自分につらく当たり過ぎているようだ。その頃−つまりあの無分別な青春の頃にも、私あながち、私に呼びかける悲しげな声や、 墓穴の中から伝わってくる荘厳な物音に、耳をふさいでいたわけではない』

1861年「父と子」
1867年「けむり」
1871年「処女地」





「ノヴァーリス」

 シラーの弟子であったこの方は、29才という余りにも短い生涯であったにも関わらず、詩人としてのその名を後世に残している方ですが、22才の時の婚約者が12才であったという衝撃的な事実によっても有名なのかもしれません。しかも、その12才の幼い恋人は、当時たばこも吸っていたし、ワインも嗜んでいたというのですから、今時の小学生も顔負けですね。

作品紹介
1800年「青い花」
  『この芸術は道具や手で何かを造るわけでもなく、目や耳で知覚するわけでもありません。何しろ、ただその言葉を聞くだけでは、 この神秘の芸術の本当の作用は少しも見えてきません。全ては内に込められているのですから。丁度画家や音楽家が目や耳という外に有る器官を心地良い感覚で満たすのに対して、 詩人の方は心情という内に潜む聖域を、不思議な快い想念で満たしてくれて、私達の内に秘められたあの神秘の力を思いのままに刺激して、 言葉によって未知の素晴らしい世界を知覚させます。あたかも深い洞窟から湧き出でる様に、過去と未来が、又数知れない人々や、不可思議の地や希有の事件が、 私どもの胸の内に浮かび上がってきて、現在という既に馴染んだ世界から私どもを引き攫って行きます。すると、未知の言葉が響いて来るのに、どんな意味かちゃんと分かるのです』
  『自然というものは、誰か一人に独占されることを好まず、一旦一人の所有に帰したかに見えると、たちまち毒物と化してしまいます。すると人の心から平安が追い払われ、 代りに、あらゆる物を己が手中に収めようとする貪欲がおびき寄せられ、果てしない心配と激情がそのお供としてやってきます。こうして自然は、持ち主の足元をこっそり掘り、 やがてぱっくり口を開けた深淵に、その持ち主を埋めた後、人の手から手へと渡り歩き、万人のものでありたいという願いを、ゆっくりと満足させるのです』

1800年「夜の讃歌」





「チェーホフ」

その諧謔性は、時に人を傷つけ、時に人を安堵させ、時に人を嫌悪させ、時に人を爽快にさせる。
医者を副業としていたこの作家は、それ故、題材にこれ程までの幅広さを持たせ得ることが出来たのかもしれないのですが、「いいなずけ」を読んだ私は、嫌いな作家にこの方を位置づけました。図書館でこの方の全集が、一際立派に並んでいるのを見て、虫唾が走った覚えさえあるというのに、どうしても紹介せずにはいられなかったのは、一体何故なのだろう?

作品紹介
1896年「」
  『あらゆる人間の使命は精神活動に−生活の真実と意味を絶えず探し求めることにあるのですから』





「スコット・フィツジェラルド」

紹介作家を読まれて、「なんだ、夢窓万華は17世紀〜19世紀のヨーロッパ文学かぶれか」と思われているのではないでしょうか?自分でも、何故その辺に偏っているのかと振り返ってみたのですが、よく考えてみると、これらの本は私が選んだのではなく、今現在、翻訳され、純文学として書店や図書館に並べられている本が、たまたまそうだったということに気づきました。結局、後世にまで残る本というのは、良書であるから残っているのであって、特にその頃のヨーロッパの作家たちが、才能豊かに良書を生み出していたということになるわけです。
そんな本ばかりを読んでいた私に、アメリカ上流階級のお墨付きWASPの方が書いた「グレート・ギャツビー」は、アメリカの香りをプンプン漂わせながら、私の心に迫ってきました。(いわずと知れた、ロバートレッドフォード主演の映画「華麗なるギャツビー」もお薦めです)
南部の名門フィツジェラルド家の御曹司、南部一の美女ゼルダ・セイヤーと結婚した男、ニューヨークの高級ホテルに住まい一晩で1万ドルを使う放蕩生活者、そして、1929年の世界大恐慌で身を落としてしまった崩壊者、そんな方に、作家としての才能が与えられたら、傑作が生まれないわけがないでしょう。頂点と底辺を見てしまった作家の文章の中には、文豪たちには無い新鋭的な美しさが存在しています。

作品紹介
1920年「楽園のこちら側」
1920年「フラッパーと哲学者」
1922年「ジャズの時代の物語」
1925年「グレート・ギャツビー」
  『結局のところ人生は、一つの窓から眺めた方が遥かに良く見えるのである』
  『彼女自身の落ち度からではなく、彼の描く幻影が余りに大きな力をもって飛翔するからだ。 彼女の及ばぬ所まで、何者も及ばぬ所まで、それは天翔してしまったのだ。…どれ程熱烈な情熱をもってしても、 はたまた如何程清純な純情をもってしても、男が胸の中に育む幻を完全に満たすことは出来ないのだ』
1934年「夜はやさし」





「ジョルジュ・サンド」

この方もテレビ番組でよく紹介されていますよね、特に、フランス上流階級で始めてズボンを着たと言われているとか、作曲家リストが熱烈に求愛したとか、後世に名前を残す作家というものは、この様に常に幸運も持ち合わせるものなのですね。。。
勿論、童話作家としての著名さが一番というのは、敢えていうまでもないことですが、彼女の想像力や表現力は、童話という世界を超えた幻影と言ってもいいのではないでしょうか。

作品紹介
1851年「ノアンにて」
  『人間が誤解し合い憎み合うことから世の不幸が生じている様な時代に於いては、 芸術家の使命は、柔和や信頼や友情を顕揚して、清浄な風習や、優しい感情や、昔ながらの心の正しさ等が、未だこの世のものであり、 もしくは有り得るということを、或いは心を清ませ或いは力を落としている人々に思い出させてやることである』





「スタンダール」

ナポレオンのロシア遠征にも参加したこともあるという、高官軍人でもあったこの方は、自殺志願者でありました。ですから、執筆も未完のものが多く、「ナポレオン伝」もその一つだそうです。

作品紹介
1822「恋愛論」
1827年「アルマンス」
1830年「赤と黒」
  『彼等は心を傷付けること無しに、心に触れることが出来ない。「一近代人」』

1838年「パリアノ公爵夫人」
1839年「パルムの僧院」
「神父マラグリダ」
  『言葉は考えを隠す為に与えられた』





「ギュスターヴ・フローベル」



作品紹介
1856年「ボヴァリー夫人」
  『しかも言葉というものは常に感情を引き延ばすローラーである』
  『でも、でも自分は幸福ではない、ついぞ幸福だったためしがない。 人生のこの物足りなさは一体何処から来るのだろう。そして自分の寄り掛かる物が立ち所に腐れ潰えてしまうのは何故だろう』





「モーパッサン」



作品紹介
1883年「女の一生」
  『魂の興奮に鞭打たれる様に、幾時間でも幾時間でも、真っ直ぐに、歩いて、歩いて行くことがあった。 それから突然立ち止まって、道端に腰を降し、悲しい物語に更けることもあった。 何故自分は他の人達の様に愛されなかったのだろうか?何故自分は静穏な生活の単純な幸福さえも知らなかったのであろうか?』
  『なんのはや、世の中というものは、そんなに人の思う程善くもなし悪くもなしですわい』





「ミゲル・デ・セルバンデス」

「ドン・キホーテ」という、老若男女を問わず世界中に知られる騎士を創作したのがこの方です。
スペインの首都マドリッドのその名もエスパーニャ広場という場所を訪れた時、一際大きなセルバンデスの像の前で、ドン・キホーテとサンチョ・パンサが手を振って迎えてくれたのですが、それが何とも温かなユーモラスを感じさせ、スペイン人がこの文豪と騎士をこよなく愛しているのだなぁと、感激してしまいました。

作品紹介
1613年「麗しき皿洗い娘」
  『上から下まで司直(裁判官)の連中の袖の下にたっぷり油を射すってことが肝心さね、 何しろ役人どもときたら、油がちょっとでも切れた日にゃ、まるで牛車かなんぞの様に、キシキシと不平を鳴らすんだからね』





「オノレ・ド・バルザック」



作品紹介
1832年「トゥールの司祭」
1833年「ウーシュニー・グランデ」
1834年「絶対の探求」
1834年「ゴリオ爺さん」
  『私も随分この世間という本を読んだつもりですけれども、私にも未知なページが残っていたのです。 「俺は成功してみせるぞ」これは賭博師の言葉であり、偉大な将軍の言葉だ。そして、人を救うよりむしろ滅ぼすことの多い不吉な言葉である』

1836年「谷間のゆり」
1837年「セザール・ビロット」
1839年「幻滅」
1839年「村の司祭」
183?年「知られざる傑作」
  『人間のあらゆる感情には、貴い感激から生まれる初花の様に素朴な瑞々しさが存在する。しかしそうした瑞々しさの源を成す感激も、 幸福とはもはや一部の思い出に過ぎず、名声とは、仮の夢に過ぎないというところまで、弱まり衰えてゆくのが常である』
1841年「ユルシュール・ミルーエ」
1844年「農民」
1846年「従妹ヘ゛ット」
1847年「従兄ポンス」






「ホフマン」



作品紹介
1819年「G町のジェズイット教会」
  『才能を疑い出すのが正しく才能の証なんだよ、自分の能力に一点の疑いも入れず、絶えず自信満々でいられるのは単なる馬鹿であって、 当人が錯覚しているだけのことだ。…努力はただ自分の足らなさを知った時に始まるのだから』
  『ある一つのことで一杯で、他の何も一切受け付けないといった状態である。ものを言おうとしても情けない溜息を衝くばかりだ。…さてどう始めたらいいのか一向に言葉が見つからない。 何はともあれ最初の一言で、不思議で、素晴らしくて、恐ろしくて、楽しくて、気味悪いものをピタリと捉え相手をアッと言わさなくてはならない様な気がするのに、話し出すや否やどの言葉も色褪せ、 冷ややかで死んでいるとしか思えない』





「シャルル・ノディエ」

ジョルジュ・サンドが女性的な幻想、シャルル・ノディエは男性的幻想、そんな言葉を用いる以外に、どんな言い方が出来るのであろうか、正に甲乙付けがたい幻想小説の二大巨匠をご紹介致しましょう。

作品紹介
1832年「青靴下のジャン・フランソワ」
  『どんなものにも勝る理由がある…真理は無用なりというのがそれだ』





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