失踪感と安易な感覚主義が蔓延している。
最近買った本は何回読み直しましたか?
『言葉を口に含んで転がす』そんな文学の楽しみ方を、皆さんは憶えているだろうか。
夢窓万華はそんな私達の飢えを満たしてくれる作家だ。
だからといって、ただ難解な語句を並べて理解を読者に挑むタイプの作家ではない。
まるでもてなすかのように、私達を作品の世界に誘ってくれる。
柔らかな語彙の匙加減は、あなたの嗅覚をくすぐるに違いない。
ハリウッド的な楽しみ方は期待しないで欲しい。
ただし、この本を手に取り読み終えた後、あなたは文豪に憧れた、
あの時のあの『薫り』を思い出すだろう。
株式会社 文芸社 企画担当 有吉氏
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- 発売
- 2001年7月1日
- ISBN
- 4−8355−2019−X
- 分類
- C0093
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こんなに若い人がこんなにも純粋な文学を書いたのかと驚いた。
日本文学は終わってしまったと思っていたが、ここにまた継承者が現れたことに安堵した。
この人を皆で育てていかなければという使命感さえ感じ、何十年、何十人と作家を見てきた目で、
自分の出来る限りのアドバイスを夢窓万華に与えた。
『国の宝』、夢窓万華から創造される小説には、
この国が守り続けるべき日本の純文学がそのまま存在している。
株式会社 文芸社 編集 佐藤氏
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『図書室の文学少女が夢窓万華としてデビュー』
「小学生の頃から文学少女でした」というゆめはなさん。
暇さえあれば図書館に入り浸っていたそうだ。
読み始めたのはシェークスピア。
その後、ツルゲーネフ、トーマン・マン、ゲーテ、とくればこれは筋金入りの文学少女である。
そんなゆめはなさんだが、本格的に小説を書き始めたのは、わずか4年前のこと。
処女作を新人賞に応募したが、最初は手応えがなかったそうだ。
「それから2年後に突然、出版社の方からお手紙を貰ったんです。
その方とのご縁で、デビューすることが決まりました」
『純文学を書くことは私に与えられた使命』
出版デビュー作の「昭和ロマン」は、ゆめはなさんにとって4作品目に当たる作品だ。
出身地、鎌倉を舞台に、本物の幸せ、そして自分自身に素直に生きる
ということをテーマに書いたという。
「いつか自分は世に出るだろうと思っていました。何故なら、書くことが私の使命だから」と、
実に淡々と自身を語るゆめはなさん。
大物登場を予感せずにはいられない。
『アウトドアスポーツや海外旅行が好き』
執筆は夜2時間ほど。「昭和ロマン」は約3ヶ月で書き上げた。
「アイデアはいつ、どんな時でも頭の中にあります。仕事をしている時でもね」
と当たり前のように言う。
やはり、大物だ。
文学少女のイメージが強いゆめはなさんだが、実は登山やスキー、
テニスなどが大好きというアウトドア派。
海外旅行にも一人で行くという。
「見聞を広めることも、作品を書く上で大切なことですから」
万華の名の通り、様々な顔、さまざまな可能性を持った女性である。
文学界で大輪の華を咲かせてくれるだろう。
機関紙 コラム「people」掲載 フリーライタ 加藤氏 記
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現在のようにもっとも殺伐とした世の中で、未来の子どもたちになにかを残したいとの思いと
大人たちに心のオアシスを用意したいということから、「心の巣箱」構想を進めております。
代表は、マンガ和泉式部日記脚色家田中美穂です。
夢窓万華の執筆一覧を拝見して、つい一言書き込みました。
『私の最大の苦手なもの、戦っても勝てない相手、やつがもの凄い勢いでやって来ます。
外にばかりに気を取られていたら、なんと、光を発する殆ど全ての電化物にもやつは潜んでいて、
室内でもアレルギーの出る理由が最近になってようやく解りました。
しかも、私の試練は厳しく出来ているものですから、場所が顔だけという、、、
どうしようもない現実、、、
皆さん、病気に負けてしまうのはどうすることも出来ないことですが、それが自分なんだと、
何かの理由があって与えられた試練なんだと、何もない人より、
貴重な体験が出来ている分幸せなんだと、
そんな風に思いましょう♪』夢窓 万華「ultra violet」
「何もない人より、貴重な体験が出来ている分幸せなんだ」
なんという深く高く広い心をお持ちなんでしょう。
文章全体が 最高の傑作です。わたしの採点は100点満点の200点を差し上げます。
こころの智慧やパワーは もうすぐ目の前まで来ています。
NPO「心の巣箱」主催、元盛岡タイムズ社常務、ザ大学機構学長
宇梵 合氏
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『純文学とは 、売れることを目的にした小説ではなくあくまで芸術を目的にした
小説のことを言うそうです。
そして作家の使命とは 、世の中に訴えるテーマをその芸術の中に織り込むことであります』
『自らが、本によって何度も救われてきたのと同じように、
私も誰かの心の一部になれる本を書きたい』
「夢では食べられないぞ」
携帯電話のCMでカイ君演じるお父さんがそう言います。
純文学は芸術であって、大衆の読み物ではない。
文学を知りえた者にのみ価値が理解できる。
いや、文学を知りえた者にはその奥深さから芸術としての価値を、
それを解さない大衆にとっても読み物としての面白さを。
日本文学の最高峰である川端康成氏がそれを成し遂げました。
あの時のノーベル文学賞は谷崎潤一郎氏が獲るものであったと川端氏は言った。
しかし、芸術としての評価は高いが大衆には難しすぎて受け入れられていなかった。
「ゆめはな」川端康成を目指しなさい、私の叔母の言葉です。
夢で食べていかれる作家になろうと思います。
友達の中には「それでは書く目的が違っている」と批評しますが、
人は成長するからこそ目的も変わるものなのです。
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