本離れなどと言われていますが、果たしてそうなのでしょうか。
本を読んでみたい、誰もがそう思っているのではないでしょうか。
文学は、明治時代以前にもあったが、夏目漱石が現在の形にしたと関場氏は述べた。
なるほど、確かに、樋口一葉「たけくらべ」、小学生の教科書に取り上げられ、テストに出るのだから、これを知らない日本人は稀である。
だが果たして、この書籍を読んだ日本人はどの位居るのだろうか、殆ど居ないと言っても過言ではないであろう。
何故なら、読めないからである。
夏目漱石が文学を誰でも読める言葉にしてくれたのである。
その跡を受け継いだ作家達、芥川龍之介、川端康成、島崎藤村、谷崎潤一郎、三島由紀夫などは、
自ら同人誌を立ち上げ、そこから次々と作家が生まれ、日本文学を日本人のものとした。
しかし、出版社が著作の主たるものとなって、日本の文学というものが在らぬ方向へと向かってしまった。
それは従業員を沢山抱えて大量生産をしなければ会社が成り行かない出版社にとって、
まともな文学を相手にしていては、収支が見合わないからである。
話題本やタレント本などでなければ、大量の小説を掲載した文学雑誌を出す方法しか、
成す術がなかったからである。
カバンに入るサイズでもない分厚い文芸雑誌、そこから読者は波が引くように去って行った。
出版社が文学を発信するのは無理な話なのであった。
それに気付いた今、出版社は話題本、タレント本、雑誌、だけを出版する会社でいいのではないだろうか。
文学に支えられて生きてきた者にとっては、文学を生み出そうとしているものにとっては、
これまでこの危機感に甘んじていた。
文学はやはり、作家たちの手によって作る同人誌であるのが、読み手にとっても書き手にとっても一番良い方法であったのではないだろうか。
本来の日本文学を取り戻すと共に、読者が読みたい本を簡単に手に入れられる方法として、電子同人誌という発想に至った。
出版社のための著作ではなく、読者もしくは文学のための著作を文芸同人誌で取り戻したい。
更に書店にしたところで、出版社の小売店業務となってしまい、読みたい本が手に入り難くなっていやしないだろうか。
ならば、電子書籍にすれば、書店の意向に関係なく読者が本を選べるのではないだろうか。